平成30年会津会新年会が開催されました。
1月22日(月曜日)16時30分から、平成30年会津会新年会が上野精養軒(東京都)で開催されました。
当日は、午後から大雪となる悪天候中での開催となりましたが、来賓の皆様を含めまして例年を上回る178名もの方にご参加いただきました。
第1部(16時30分より)は平成25年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の脚本を書かれた山本むつみ氏の講演会「八重の桜再び」、第2部(17時30分より)は懇親会が行われました。
山本むつみ氏の講演では、『八重の桜』の脚本を依頼された時には、八重が一般にはあまり知られていないことに不安を感じたが、調べていくうちに、八重の魅力や、幕末の会津や東北で何があったのかを伝えなければという思いを強く持たれたとのことで、会津の人々の苦難を語る時には声を詰まらせる場面もあり、大変な熱意と会津への思い入れを込めて脚本を書かれたことが伝わってきました。
山本むつみ氏の講演会「八重の桜再び」大河ドラマを通してこれまで定説として誤って伝えられてきた会津の歴史を正しく伝えること(例えば、白虎隊はお城が燃えていると誤認して自刃したと言われてきたが城に戻れず捕虜になってはいけないという判断だった)に力を入れたというお話や、会津の人々の思いを登場人物に語らせたシーンのお話(例えば、西南戦争で西郷隆盛と山川浩が出会う場面を創作し、山川に「なぜ女も子どももいる城を攻めたんだ。今この国は会津が流した血の上に成り立っているんだ。」と語らせた)など、会津人の思いを代弁してくださったことに参加者も多いに盛り上がりました。
講演の最後に、会津は多くの優秀な人材を輩出していますが、その中で教育を通して京都の復興に尽力した山本覚馬のセリフが紹介されました。
「貧しき人の友であれ。弱きものの友であれ。自分の頭で考える人であれ。剣は鋤に打ちかえて、槍は鎌に打ちかえて、国は国に向かって剣をあげず、再び戦うことを学ばない。」
滅んでしまった故郷会津に帰れなかった覚馬の言葉の重みと、今の時代を重ね合わせて、「歴史に謙虚に学び、より良い未来をつくっていくことが、戊辰戦争で亡くなった方々の払った犠牲に対する報いになるのではないか」と締めくくられました。会津の人たちの思いに寄り添ったお話に感銘を受け、会場からは大きな拍手が沸き起こりました。
懇親会では、遠藤輝男副会長の開会の辞に続き、柳澤秀夫会長の挨拶がありました。会長は、山本むつみ氏が紹介されたのと同じ『八重の桜』第四十九話の山本覚馬の卒業生への挨拶に触れられ、「再び戦うことを学ばない」に続く後半の「いかなる力にもその知恵で抗い、道を切り開いてください。それが身をもって戦を知る私の願いです。」というところで、会長ご自身が仕事で戦争や紛争地域を渡り歩いたご経験も踏まえて「いかなることがあっても戦争は避けなければならないとの思いを戊辰150周年の今年もう一度肝に刻み込んでいる。」と語られました。
近況報告では、北村邦雄幹事長より、会津会の会員数は756人で、昨年の1月23日の731人から25人増えたこと、清泰寺の本殿の建て替えが完了し、今年から法要ができるようになったこと、今年の各種例祭・法要については後日通知する等のお話がありました。例祭・法要に参加する場合は、準備の都合上、それぞれの祭主・施主か、会津会に事前に連絡して欲しいとのことでした。
来賓の会津会名誉会員で会津松平家第14代当主 松平保久氏および会津若松市長の代理で本田樹教育長にご祝辞を頂きました。
松平名誉会員からは、『八重の桜』を通して会津若松と京都の商工会議所の交流が生まれ、京都に訪問した時、京都では山本覚馬はよく知られ「今、京都が発展しているのは覚馬先生のおかげです」という話を多く聞いた、『八重の桜』は今後100年くらいは会津のドラマの代表になるだろう、戊辰150周年で会津若松市や各地で様々な記念事業があるが会員の皆さんも会津の思いを世界に向けて発信してほしいとのことでした。
会津若松市長からは、第7次総合計画を策定し、新たなまちづくりを担う人づくりとして次世代を担う子ども達の健全育成に力を入れている、産業面ではICT(Information and Communication Technology)関連企業の集積を進めている、戊辰150周年ということで「「義」の想い つなげ未来へー。 戊辰150周年。」をキャッチフレーズに会津の歴史的意義の再認識をはかる機会として様々な事業(講演会、オペラ「白虎」上演、企業展など)を予定しているとのことでした。
引き続き、渋川恵男会津若松商工会議所会頭の乾杯の発声で懇親会が始まり、しばしの歓談に盛り上がり有意義な時間となりました。
次の行事として秋に総会が開催されます。詳細が決まり次第ご案内を差し上げますので、皆様の参加をお待ちしています。