戊辰戦争の責任を取り、切腹した会津藩国家老萱野権兵衛氏の法要が、会津会施主により令和8年5月17日、港区白金にある「興禅寺(こうぜんじ)」に於いて行われました。
当日は、会津松平家第15代当主の松平親保氏や会津会・会長の町野英明氏のほか、会津弔霊義会理事長様、郡家ご夫妻様、会津会会員の方々合計16名が参列されました。
萱野家はもともと伊予の加藤嘉明公の家臣でありましたが、国替えで加藤嘉明公が会津に移ると、それに従って会津に移りました。しかし、加藤嘉明の子・加藤明成が江戸幕府から咎めをうけて改易除封となり、その後、新たに会津藩主となった保科正之公に召し抱えられ、萱野家は会津藩の番頭(侍大将)や奉行を務める名家となり、更にその後家老に取り立てられ、家禄1500石の家柄となりました。
鳥羽伏見の戦い以降、戊辰戦争で敗戦に追い込まれた会津藩は、会津若松城(鶴ヶ城)を開城し、会津藩主・松平容保公は国家老の萱野権兵衛氏とともに降伏文書に署名を行ない、1868年9月、会津藩は新政府軍に対して降伏しました。
その際、新政府軍は会津藩の戦争責任を追求すべく会津藩に対して首謀者を出頭させるよう命じましたが、会津藩で戦争を指導した家老の田中土佐と、神保内蔵助、萱野権兵衛の3人のうち田中土佐と神保内蔵助はその時には既に自刀しており、筆頭家老の西郷頼母も、その時には城を去り行方知れずの状況であったことから、結果、家老で4番目の地位にいた国家老主席の萱野権兵衛氏が1人でその責任を負う事となりました。
萱野権兵衛氏は「主君には罪あらず。抗戦の罪は全て自分にあり」と述べて主君松平容保公を最後まで命がけでかばい、容保公の父子の除名嘆願に尽力しました。
結果、会津藩における一切の戦争責任を萱野権兵衛氏が一身に引き受けることになり、1869年5月新政府軍より萱野権兵衛氏に対し切腹の命が下され、飯野藩保科邸の座敷内で自刀するに至りました。
萱野権兵衛氏の切腹により、萱野家は断絶。その為、残された遺族は、萱野権兵衛氏の妻の旧姓である「郡(こおり)姓」を名乗ることになり、現在に至っています。
萱野権兵衛氏の墓は東京白金の興禅寺と会津若松市の天寧寺にあり、現在も「会津会」が施主となり興禅寺において墓前祭「萱野国家老法要」が行われています。
※「祭典のご案内」と「興禅寺へのアクセス」:
・開催日時:毎年5月の第三日曜日・午後1時より開催
・開催場所:〒108-0072 東京都港区白金6-14-6、「臨済宗妙心寺派・大雄山・興禅寺」
・アクセス:都バス(田87)(渋谷~田町)、北里研究所前下車、徒歩10分
北里研究所前横断歩道から蜀江坂を上り、聖心女子学院裏門を過ぎて二岐を右に入る。
・興禅寺連絡先:03-3473-0602
※ご参列をご希望の場合には「会津会」事務局までご連絡ください。
・会津会事務局: Tel / Fax : 03-3946-8159
e-mail : aizukai2015@yahoo.co.jp

興禅寺本堂

会津松平家第15代当主 松平親保氏ご挨拶

興禅寺門前にて