萱野権兵衛の149回忌法要

 5月20日(日) 戊辰戦争の責任を一身に負い自刃された国家老・萱野権兵衛の149 回忌法要が、今年も港区白金の興禅寺で営まれました。

  前日の蒸し暑さから一転、清々しい五月晴れのもと、第14代松平保久(もりひさ)様はじめ32名の会員・有志が集まりました。

 法要の冒頭、「供養」の 2 文字に込められた精神についてご住職からご法話を いただき、萱野権兵衛と会津藩士の御霊に祈りを捧げ、その後、お寺のすぐ隣の墓所をお参りしました。「萱野長修(ながはる)」と刻まれたそのお墓は、灌木が作り出す墓地入り口の生け垣を入ってすぐの左手にあります。近くには会津藩士のお墓がいくつか寄り添うように佇んでいました。

 興禅寺の墓地は都心にありながら趣き深く、また心地よい風情を醸し出して います。萱野ご家老のお墓が建つ東の入り口から西に向かってなだらかに傾斜する地形を利用し、様々な木々が自然の区画を作り出し、その緑に沿って緩やかな段々を降りていくと、一番奥には萱野権兵衛の子孫、郡家のお墓があります。 皆でこちらもお参りしました。

萱野権兵衛の墓
郡家の墓

 直会では松平保久様から、戊辰戦争終結から今年は 150 年にあたるが、萱野 家老は終結から 1 年後に自刃されたので今年は 149 回忌にあたること、法要の意義は故人の遺徳や御霊を偲ぶと共に、その方が生きてこられた時代について思いを馳せるところにもあり、こうした法要や行事をきっかけに、故人やその時代について都度書籍をひもとき、理解を深めることが大切、とのお話を戴きました。

149回忌法要
    松平保久名誉会員

 続いて、萱野権兵衛のご子孫、郡荘一郎先生から、権兵衛の命日は 5 月 18 日 だが、興禅寺での法要は今では命日に一番近い日曜日に行っていること、権兵衛が実際に自刃した場所は現広尾駅にほど近い、上総飯野藩保科家別邸であったこと、ご遺体が興禅寺に埋葬されたいきさつには 2 説あり、一つは自刃場所に近い天現寺にご遺体を運んだところ断られたため興禅寺に運ばれたという説、もう一つは興禅寺が上杉家の菩提寺であり、萱野家老自身が興禅寺を望んだ説とがあること。また、萱野姓と郡姓の関係についてもご説明がありました。萱野姓は長男が継ぎ、次男からは郡姓を名乗ったそうです。萱野姓は権兵衛の先祖萱野 4 兄弟の出身地、大阪府箕面市に今も残る萱野という地名から来た姓であろう、とのこと。郡姓は 4 兄弟のひとり長則(ながのり)の母の姓で、母の出身地は大阪府茨木市、ここにも郡という地名が残っているそうで、郡の姓もまた地名に由来しているのでは、とのお話でした。

郡 相談役
柳澤秀夫会長

 続いて柳澤秀夫会津会会長、ご住職、会津若松の会津弔霊義会理事の田澤豊彦 様からご挨拶を戴き、山内秀一副会長から献杯の発声がありました。

 その後、会員のお手製の漬け物やお菓子、心入れのごちそうなどで和やかに会 は進み、山内裕正副幹事長の中締めでお開きとなりました。